お久しぶりです⭐️
りとるみーです。
発信のお休みをいただきありがとうございました。
また、LINEやメール、zoom対話、プレゼントのお申し出、そしてお祈り等
愛を送っていただきありがとうございました❤️
お休みさせて頂いている間、たくさんの気づきやアップデートがあったのですが、変化が早すぎて言語化できずにおりました。ようやくまとまってきたので、少しずつシェアしたいと思っております。
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私に起きた大きな変化。
それは、、、
「悟りやスピリチュアルの手放し」です。
そこにたどり着くまでにも、
「自己犠牲の奉仕」や
「他人への恐れ」
「本音を表現することへの恐れ」などがありました。
怒りや悲しみの解放は数年前にありましたが、まだ大きな恐れが残っていたのです。
その出来事を簡単にまとめてみました。
もしご興味があれば、読んでみてください。
《出来事と気づきのシェア》
概要
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❶知識の手放しと、ただ在るBeingの実感を深めたくなったこと
❷1番の近道 Just BE
❸恐れ、感情の痛み、トラウマに向き合うこと
❹「自己犠牲の奉仕」のパターンがあった
❺《気づいたら繰り返さない》
❻「スピリチュアルも捨てる」とか、「知識の解説はもうしない」とか、
「空の悟りに留まらずに、ちゃんと嫌な感情に向き合んだよ」等、
本心で表現したいことを言ったら嫌がられるんだろうな、という恐れがあった。
❼「愛そう」「愛でいなきゃ」ということすら必要なかった。
なぜなら、《存在が愛》だから。
❽縁起(関わり合い)の愛
みんなが愛❤️
ありがとう❤️
❾《愛と祈りで繋がるスペース》
➓大事なのは、自分の内側の響き
本質を感じられるのは、自分の内側だけ。
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●おまけ:《自己卑下も恐れ》
わざと自分を「ダメな風に下げて見せるパターン」もあった。
それも「嫌われたくないという恐れ」
●おまけ2:知識だけじゃなく、スピリチュアル自体の手放しが起きた。
「スピを手放し、普通に生きる」と決めたら、起きたこと。
アジャ・シャンティ『I’m done! もうやめた!」は突然くる。その後、自我で運転できなくなり、宇宙の流れに任せるようになる。
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今回私に起きた2大テーマ
《悟りやスピリチュアルの手放し》と
《自己犠牲(という他人への気遣いにニセた恐れ)の手放し》
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■「悟りやスピリチュアルの知識を手放したくなった」
「道の過程でそのような時期が来る」
「しかし、発信している手前、悟りの知識を学びたいという期待に応えられないのは申し訳ない(みんなの役に立たないといけない)」という恐れがあった。
+
■他人に気を遣い過ぎて優先しすぎるあまり、自分の限界を超えてまで頑張ってしまうパターンがあった(虐待経験者に多いそうです)。その恐れを乗り越えて、本音を表現する。
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上記の「悟りやスピリチュアルも手放す」というプロセスのお話は、今、知識が必要な方には、まだ不要なメッセージかもしれません。
しかし、これから同じような道をたどる方、必要な方のお役に立てるかもしれませんので惹かれる方はお話にお付き合いくださると嬉しいです。
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⭐️自己犠牲をやめて自分を大切にすることが真の愛につながると気づいたのなら、「みんな♡」という「他人の目線」を気にして無理をするよりも、自分を大切にしてお休みすることを選ぶ勇気と行動が必要でした。
同様に、
⭐️「悟りやスピリチュアルを実践している私」というのも、エゴであり(「私はベジタリアン」とか「私はボランティアをやっているいい人」というエゴと同じように)自分を何かにカテゴライズしてアイデンティファイ(自己同一化)してしまっている。と気づいたのなら、その自我の思い込みを手放すためのアクションとして、一旦離れる必要がありました。スピリチュアルという特別な人ではなく、何者でもない普通の人として社会の中で生きる(色の世界に戻る)という行動が必要なのだと気づきました。
※補足)
ブッダは「修行は必要ない」と悟るまで、修行が必要でした。ですから、今、スピリチュアルや悟りに興味があり学ばれている方は、それが必要で起きています。探求したいという求めも恩寵なのです。
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ずっと気づいていたのですが、ただ気づくだけで、行動に移して、「カルマのパターンを終わらせる」「恐れより愛の表現をする」という行動ができていませんでした。いま、そのことに気づいたので、こうして行動にしています。(嫌われる勇気w)
スピリチュアルを手放すとは、「やめる」ということではなく、スピリチュアルそのもので在るBeingということです。これから、どんな表現が出てくるかは未知なので、ご縁を頂いたみなさんとは、普通にお友達としてお話ししていきましょう❤️
”Becoming「そう成る」「目指す」「目指す・成ろうとする」「至る」のではなく、Being「それで在る」のだ。”
(byマクドナルド・ベインのお師匠さん(友)『キリストのヨーガ』より)
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追記
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❤️一人の人間として、みなさんお一人お一人と関わりたくなった。
教えるとか「れるられる」の関係ではなく対等な友人として。
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「スピリチュアルな人」という枠組みを超えて、スピリチュアルな部分も、そうでない人間的な不完全さも、一人一人違う個性も含めて、「それでも一緒にいたい」「友達として時間や空間を共有したい」もちろんお互いの普天的な「being存在」の価値を認めつつ。
《エックハルト・トールの奥さんキムエングさんの講和》
エックハルト・トールと結婚当初「悟った人との人間関係」に勝手な幻想イメージを持っていた。でもそれはキムさんが勝手にマインドで作り上げた「悟った人との関係」というイメージであり、実際のありのままのエックハルト・トールではなかった。「エックハルト・トールもHumanBeing人間よ!笑」というキムさんの言葉にわたしは何だか微笑ましくリラックスしました。1番身近な奥さんからの人間宣言w
覚者だから特別視するのではなく、人間らしい不完全さも認め、それをフォロワーさんにもシェアしているエックハルト・トール&キムエングご夫婦は、いいコンビだなとほっこり見ています。
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私の苦しさの一因は、そこにあったのかもしれません。悟りや愛の話をシェアしているからといって、いつも完璧に愛や慈愛に満ち溢れている訳ではありません。むしろ自分が必要で求めているから、そのような教えに惹かれ、それにより癒されたからシェアしていたのです。私が1番癒しを必要としてたから学んだのです。ですから私が悟りきったわけではないので、覚者の教えをシェアする立場をとっていたのですが、それでも聞いてくれる方が私に「愛や癒しでいる事を期待している」事を感じ、期待に応えられない私に苦しんでいたのかもしれません。
ですから、私は教えるのではなく、お友達・お仲間として、ご縁をいただいた方と関わっていくことにしました。それが私が1番私らしくありのままリラックスできる関係だからです。
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《りるみーの話を聞いてあげるzoom》
お話しのトピックたち
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下記のトピックについて、お一人お一人とお話ししながら、気づきや学びをシェアしていきます。Blogや動画などにはまとまりきらないので、一緒にお話しする中で、言葉にすることが難しいことも共有できたらいいなと思っています⭐️
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❶知識の手放しと、ただ在るBeingの実感を深めたくなったこと
■アジャ・シャンティ*「I’m done!(もうおしまい!もういい!)」は突然やってくる。
そして、ようやくBeingにくつろげる。
■「言葉じゃない次元を感じなさい。
知識ではなく、自分の実感として顕現させなさい。」
■Becoming「そう成る」「目指す」「目指す・成ろうとする」「至る」のではなく、
Being「それで在る」のだ。(byマクドナルド・ベインのお師匠さん(友)『キリストのヨーガ』より)
■アジャ・シャンティ。
スピリチュアルな学びや集まりやワークも手放し、全て自我のコントロールが出来なくなる時期がやってくる。自分の意思でそうなるのではない。何も出来なくなる。(エックハルト・トール曰く「ロスト・イン・Being」)。それにすらサレンダーすると、自我ではない「何か」が働きだす。
❷1番の近道 Just BE
アジャ・シャンティ「ただ静かにしなさい」「ただ聞きなさい」
パパジ&ガンガジ「Just Stop ただ全てをやめなさい」
(悟りやスピリチュアルやヒーリングやワークも全て)
=マクドナルドベインのヒマラヤの師匠「自我徹見しなさい」
=だからエックハルト・トールは著書ニュー・アースでエゴとペインボディについて詳しく記載してくれている
「自分では気づけないことが多いから、細かく自我(エゴ)について書いてあげるね」
=アジャ・シャンティいわく「意識が深まれば深まるほど、自我エゴの不甲斐なさに気づく・見える・自覚する」
=自我徹見は、ただ静かにすること、ただ聞くことによって起こる
=気づきの意識であることによって
➡️自我を見切った時、Beingが自ずと現れる
❸実際に、在り方に触れるしかない
という直感やサイン(書籍キリストのヨーガ(マクドナルドベイン)、ガンガジの動画、ルパート・スパイラやアジャ・シャンティの師匠とのエピソード)
■覚者さんとの対話
■自分を内側だけにとどめず、外側にも意識を広げ「すべてがわたし」を感じる瞑想
❹恐れ、感情の痛み、トラウマに向き合うこと
■《自己犠牲の奉仕》
●自分より他人を優先してしまう
●限界を超えてまで頑張って奉仕したり、尽くしてしまう
●実は虐待経験者あるあるの「尽くさなければ、好かれなければ生きていけない」という「人への恐れ」が根本原因だった
■「他人と同じくらい自分も大切にする」
(ヴィシュラールさん)
■NOという勇気
嫌われる勇気
■「コンシャス・サファリング意識的に苦しむ」(エックハルト・トール)
大丈夫と知りながら、痛みと向き合う
****************
ぜんぶ恐れだ(分離という勘違い)
無価値感
何かしないと・差し出さないと愛されない
完璧な愛でいないと、覚者レベルにならないと価値がない
悟らないと愛せない
という思い込み(無理ゲー)
本当はぜんぶ愛でしかないのに
それを妨げているのは、自我の恐れと勘違い
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❺《気づいたら繰り返さない》
カルマに気づいたら、カルマのパターンを繰り返さない決意と、恐れより愛を選ぶ行動を。
(ガンガジ、ヴィシュラールさん)
❻「スピリチュアルも捨てる」とか、「知識の解説はもうしない」とか、「空の悟りに留まらずに、ちゃんと嫌な感情に向き合わないといけないんだよ」等、本心で表現したいことを言ったら嫌がられるんだろうな、という恐れがあった。
■「どうせ分かってもらえない」
■「期待に応えないと嫌われる」
■「役に立たないと愛されない」
❼「愛そう」「愛でいなきゃ」ということすら必要なかった。なぜなら、《存在が愛》だから。
■力みや気負いを手放しリラックス
■「しなければならない」
■スパルタな変えようとする力が、「ただ在るBeing」から遠ざけていた
■「恐れがある自分はダメだ」と責める必要もない(ルルさん)
■始めから何も変える必要がなかった
“Forgive yourself for not being at peace. The moment you completely accept your non-peace, your non-peace becomes transmuted into peace. Anything you accept fully will get you there, will take you into peace. This is the miracle of surrender.”
『平安でいられないあなた自身も赦してください。平安でいられないという状態を完全に受け入れた瞬間、あなたの不安は平安に変換されるのです。なんであれあなたが完全に受け入れることは、あなたをそこへ連れていきます、あなたを平安に連れて行くのです。』
エックハルト・トール
❽縁起(関わり合い)の愛
みんなが愛❤️
ありがとう❤️
■覚者たちのお話しをしているけれど、本当に大切なのは関わって頂いた方々すべて。
誰か一人だけのお陰じゃない
みんなのご縁・縁起によって、起きた事
対話や交流の中で、満ち溢れる愛を感じました。そしてたくさんの気づきや学びも共有頂きました。書籍や音楽や動画などなどシェア頂きありがとうございました。
言葉以上に、《意識》を向けて頂くことが《祈り》であり《愛》だなぁ❤️と感じました。
❾そこで、《愛と祈りで繋がるお仲間》を募集中です。
言葉や思想でうんちくを語るよりも、言葉を超えた意識でつながりましょう。
メールかLINEにてご連絡ください。
毎日、以心伝心で愛のお祈りをお送りします❤️
➓誰かや何かの教えよりも、大事なのは自分の内側の響き
本質を感じられるのは、自分の内側だけ。
■結局みんな自分がいいと感じたものを共有共感したい。だけど、全ての感覚が一致する人などいない。たとえそれがグルや覚者、聖典であっても。最後は自分の中の感覚に正直になること。それが唯一の道。
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もし「お話聞いてやってもいいよ〜」という方がおりましたら、ご連絡ください^ ^
Zoomリンクをお送りいたします。
Zoomシェアは、12月いっぱい実施します
(12月は埋まりました)
1月も、お話ししたい方がいればどうぞ
●1月4日(水) 14時~
●1月8日(日)20時〜
各定員1~2名さま
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●おまけ:《自己卑下も恐れ》
わざと自分を「ダメな風に下げて見せるパターン」もあった。
それも「嫌われたくないという恐れ」
●他人の目を気にして本音を言えなかったり、ありのままを表現できない恐れは、日本人に多いと思います。
そもそも、社会の常識やルールに従うことと自分の気持ちを混同し、「自分が本当はどうしたいか?」すらも気づいていないパターンの方もいらっしゃいます。
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●おまけ2:知識だけじゃなく、スピリチュアルや悟り自体の手放しが起きた。
「スピを手放し、普通に生きる」と決めたら、起きたこと。
アジャ・シャンティ『I’m done! もうやめた!」は突然くる。その後、自我で運転できなくなり、宇宙の流れに任せるようになる。
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追記2
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私の大きな気づきは、
「自己犠牲の奉仕は卒業して、自分も大切にして、ちゃんと生きる!」
でした。
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「誰か(みんな)のために、頑張って奉仕しないと役に立たないと、生きる価値がない」と勘違いしていたのです。自分のためとなると何も頑張れなくて、行動できませんでした。
断食とかスピリチュアルで、抑圧的、修行的に生きていました。みんなのために役立つには、自分を犠牲にしてでも、愛の奉仕を頑張ろうとしていました。《存在が愛》だから、頑張らなくても、みんな癒され救われている存在なのに、私という自我が頑張って良いことをしないと価値がないと思い込んでいました。
自分も大切という事がどうも腑に落ちず、ずっと他人のために頑張って生きてきました。
「自分を大切にするんだよ」
と言われても、どう大切にするかが分からず、「そもそも私は肉体じゃないから生きても死んでもいい」「いつ死んでも悔いはないw」と生きながら死んでいる状態でした。悟りの「空病」「禅病」ってヤツです。
これになると大変だから、昔は悟りは慎重に伝えられてきたんですね。
エゴの崩壊後、欲がなくなるんです。
食事も質素になり、物欲もなく、着飾ることも遊ぶこともせず、ただ淡々と仙人のように生きていました。
病気になって、外側のものは殆ど失って(外見や物質的なものへの拘りというエゴ)、、、欲がないように見えても、でもまだ「私はスピリチュアルだ」というアンデンティティ(=エゴ)があったんですね。
仙人が、わざと人里の近くで質素な暮らしをするという例え話があります。その仙人は仙人に見られたいエゴが残っているのですね。
私にもスピリチュアル・エゴがあったと気づきました。手放したら楽ちん♪
やっと「わたしも幸せに生きていい。生きることを楽しんでいい」と許可がおりました。「もう抑圧したり、修行的・仙人的に生きなくてもいい」と自己解放できました。
ただ今を大切に生きるだけでいいんだ。
納得して心が晴れ渡りました。
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これらは、みなさんとの関わりがあったからこそ気づけたことです。仙人のように、一人で瞑想して、ヨガをして、散歩をして、断食する生活をしていたときには気がつけないことでした。「一人でいて、何も持たなくても何もしなくても平気」「食べなくても平気」「遊ばなくても平気」。。。そんなことは死んだらいつでもできることです(笑)
生きながらにして死んでいるような。。。「空病」とはよく言ったものです。
「空だけに偏らずに、色の世界の経験も大切なんだよ」と私はよくみんなに言っていましたが、それは自分自身に言っていたのですね(笑)
マクドナルドベイン著『キリストのヨーガ』の中でも、「一人で悟るのではない、関わり合いの中でしか愛は育まれない」というニュアンスのことが何度も出てきます。ヴィシュラールさんのご著書でも、「一人の特別なる悟りによって他者と隔たれながら悟ったため、普通を最も恐れる」「人間的愛とは、絶対愛でも、存在愛でもない、ただの触れ合い、ただの関わり合い、ただの語り合い」だという言葉にハッとしました。
私もそうだと思っていたのに、ずっと「悟りの正しさ」という知識にとらわれ、自分を抑圧して我慢し、それが結果的に自分も他人も(行動に移さずともエネルギー的に)苦しめていたと気がつきました。
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悟りを卒業して、楽に自由に生きていきます♪
ご縁をいただきありがとうございます。
勇気を持って発信したから、ご縁を頂いたみなさんと関わり合い・気づきのシェアができ、お互いにお互いの存在Beingの愛を確認し合える❤️そんな私は幸せ者です。
これからは、普通のりとる・みーを宜しくお願いします(๑>◡<๑)♡
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私の道も順調だという確信があるから、「悟りやスピリチュアルを手放す」というプロセスも必要な過程だと知っています。
私の道も順調だという確信があるから、みんなの道も順調だと確信しています。
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The Power of Now
今ここのパワー
今ここに必要なことが完璧に起きています。
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おまけのおまけ
色の世界の
りとる・みー
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「世界中に定められたどんな記念日なんかより
あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう。」
「嫌らしさも汚らしさも、剥き出しにして走っていく」
「聖者になんてなれないよ。だけど生きている方がいい!」
「本当の声を聞かせておくれよ」
(Byブルーハーツ)
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「抑圧するとペインボディとして溜まってしまうから、今ちゃんと感じるんだよ」
(byエックハルト・トール)
「ちゃんと遊んだ方がいいよ」
(byりとる・みーw)
年末は、10代からの友人とパンクバンドのライブに行ってきます。
18歳時にも参戦したハイスタ。(二十数年前。。。)
イェーイ。
個人としてのりとる・みーは、
ロックもパンクも、ダンスも、音楽大好きです♪
家でも毎日、歌って踊っています笑
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「ローブを脱いで!自由な服で歌いなさい」
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ローリン・ヒルかわいい♡
スピッツの草野さんは悟っていると勝手に思っていますw
「何もなかったそれ以外は」とか「悟り」「神さま」と歌詞にあるのに
まだ「醒めない」と、色の世界にまた戻ってきて歌っているようです♪
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♬スピッツ『恋する凡人』
「恋する凡人 試されてる 狂った星の上
やり方なんて習ってない 自分で考える」
「定まっている道などなく
雑草をふみしめて行く
これ以上歌詞にできない」
8863 スピッツ
あの塀の向こう側
(*彼岸のこと)
何もないと聞かされ
(*空のこと)
誰よりも早く駆け抜け
LOVEと絶望の果てに〜
(*1回絶望しないと愛は分からんよ)
届け
君を自由にできるのは
宇宙にひとりだけ
君を不幸にできるのは
宇宙にひとりだけ
簡単なやり方でいいよー
ガンダーラじゃなくてもいいよ
(*悟りじゃなくてもいいよ)