◆エゴくん自我ちゃんの闇を『空の愛の眼eye』で見てあげると起きること
⬆️動画の内容をテキストで読めるようにまとめました⬇️
自分の『闇を直視する』ことが相手への『愛』になるとは?
「わたしたちが人間臭い共通点を見い出すとき、慈悲の心(思いやり)は本物になります。自分自身の闇の部分をきちんと認識しているときにのみ、相手の闇へのプレゼント(光、今にいてあげること)になることができるのです。」
今回の名言は、(チベット密教アメリカ人尼僧)ペマ・チュードゥンさんのことばです。
“Compassion becomes real when we recognize our shared humanity. Only when we know our own darkness well, can be present with the darkness of others.”
Pema Chodron
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それでは今回のテーマ:『闇』についての覚者の名言を深掘りしていきましょう。
キレイゴトだけ・『空』だけでは、『自分』が深まらない
唐突ですが、
わたしは、キレイゴトが苦手です。
なぜなら、小さい頃から人のウソが手にとるように分かってしまう体質(?)だったので、自分にも嘘がつけないのです。ウソを演じている人には違和感や気持ち悪さを感じるので、嘘をついている自分にも耐えられないのです。
なので、ウソやキレイゴトを演じた方が楽なこの世界では生きづらかったです。
しかし自分に嘘はつけないので、あきらめて割り切っていました。
結果、それでよかったなと思っています。
あらためまして、こんにちは、JapaneseZEN/英語で禅のりとる・みーです。
Little Meとは、自我・エゴのことです。
この名前の由来は、わたしは自我・エゴであることも無視したくないからです。
勉強すれば、知識のみでも悟りを語ることはできますが、体験したことのないことを語ってもそれは机上の空論にすぎません。
また、『空』を一瞥した体験があっても、私たち人間は肉体を持っている以上、エゴがあり、自分を守ろうとする防衛本能が働きます。
それを無視して・無いものとして、『空』だけを強調すると、超人のように感じられますが、そんな人間いません。
少なくとも私は知りません。
私が学んだ覚者たち、エックハルト・トールやアジャシャンティは、エゴもきちんと認めています。
* * * *
「ありのままでいいよ」とよく聞きます。
そのとおりなのですが、そして、わたしも「ありのまま」と言いますが、その本当の意味は「闇も光もあるがままに認める」ということです。
キラキラした光だけを見てお花畑になることではありません。
* * * *
今日は闇について。
言いにくいことですが、大切なポイントだと思うので表現してみます。
- 「目覚めが進まない」
- 「無条件の愛が分からない」
- 「たくさん本を読んで学んだけれど、いまいち分かりきらない」
- 「なんかもやもやしてスッキリしない」
- 「世界は闇だらけで絶望だ」
- 「全ては幻想だという空の虚無感がある」
そんな状態にいる方は、ぜひDive Deep深くに潜って、エゴくん、自我ちゃんの闇の部分も愛してあげて下さい。
「空」だけを追い求めたり、「空」に逃げ込むこともなく、「色」も愛でて愛してください。
そうすれば、他人のエゴを責めることなく見守る愛(=『アイ・EYE・目』)でいることができます。
I am 愛&EYE♡
(私は愛であり眼です)
(あい・あい・あい)
さらにはそれが、世界の闇を理解することにもつながります。
* * * *
エックハルト・トールもパワーオブナウの本の中で、このように言っています:
“Some spiritual teachings state that all pain is ultimately an illusion, and this is true. The question is: Is it true for you? A mere belief doesn’t make it true. Do you want to experience pain for the rest of your life and keep saying that it is an illusion? Does that free you from the pain? What we are concerned with here is how you can realize this truth – that is, make it real in your own experience.” (p.29)
「『全てのペイン・痛みは幻想だ』と言うスピリチュアルな教えもあります。そしてそれは真実です。しかし、自問して欲しいのは『それはあなたにとっての真実ですか?』『全ては幻想だ』とは真実だけど、本当にそう感じられていますか?単なる憶測は、真実を生みません。本当は痛み・ペインを抱えているのに『幻想だ』と言いながら残りの人生もずっと生きていくのですか?幻想だと言い聞かせることは、あなたを痛みから開放しれくれますか?ここで大切なのは、『幻想だと言う真実』をあなたの実際の体験として実感して理解しているかということです。」
エックハルト・トール PON 29ページ
* * * *
相田みつをさんも『にんげんだもの』と言っています。
相田みつをさんは禅や書道を学んだそうですが、あえて崩した字体で『人間だもの』を表現したそうです。
それを知ってわたしは、「とても愛のある表現だな」と思いました。
エックハルト・トールは、「人間は、Being(空・神)とHuman・人(色・Form)の間である」と言っています。
そのことを「Human-Being」という英単語を使って説明しています。
これは、日本語の『人間』という漢字で考えても分かります。
実は、わたしたち人間というのは、BeingもDoingもどちらも含めて人間なんですね。
どういうことかといいますと、英語ではHuman-Beingといいます。
このことをエックハルト・トール は、「わたしたち人間は、Beingという側面も持ってるのです」と伝えています。
般若心経の「色即是空」でいうところの「空」と「色」、どちらも人間には備わっているということです。
日本語で「人間」という言葉を考えてみても、「人」という漢字だけでHumanの意味にはなりますが、わざわざ「間」を付けて『人間』と書き表します。わたしたちは『人』となにかの『間(あいだ)』の存在なんですね。何の「間」かといいますと、エックハルト・トール は「Being」と表現しますし、神道では「神」、禅や仏教では「仏性」・「空」と言います。
まとめますと、英語の『Human-Being』と日本語の『人間』というのは同じことを指しています。
■『色』と『空』の間
■『Doing』と『Being』の間
■『Human』と『Being』の間
■『人』と『神』の間
わたしたち人間というのは、DoingとBeingの、色と空の「間」、どちらもバランスよく持っている状態が本来の人間のあるべき姿なのだそうです。
エックハルト・トールは、色即是空の空の次元をメインに教えています。
人間は今までDoing(行動)は散々やってきたので、Beingという、ただ今にいるだけあるだけの『いのちの存在』という人間の側面にも気づきましょうということです。
色の次元Formも大切だと断った上で、空Beingを教えているということです。
しかし私たち人間は、肉体を持って生きている以上、『空』だけ『Being』だけ『神』だけになることはできません。『個』という身体を維持するには、自我の防衛本能が働く仕組みになっているからです。
ですから、『空』Beingだけになることは無理なので、それだけを目指して苦しまなくていいのです。
『人間臭い共通点』『闇』を認識することが本当の『慈愛』
* * *
それでは、冒頭のペマ・チュードゥンさんの名言に戻りましょう。
「わたしたちが人間臭い共通点を見い出すとき、慈悲の心(思いやり)は本物になります。自分自身の闇の部分をきちんと認識しているときにのみ、相手の闇へのプレゼント(光、今にいてあげること)になることができるのです。」
“Compassion becomes real when we recognize our shared humanity. Only when we know our own darkness well, can be present with the darkness of others.”
Pema Chodron
知識だけで『空』とか『愛』『悟り』『目覚め』『光』などを追い求めても感じられるようにはなりません。
闇を認めてこそ、ほんとうの光や愛が分かり、他人にも慈愛を与えられるのです。
* * *
- わたしも自分の闇を直視したことがあります。
- そこには、長年抑圧してきた、腑(はらわた)が煮えくり変えるような怒りと深い悲しみがありました。
- エックハルト・トールの音声を聴いてたら、
・お花畑のようにキラキラしたこと
・ゆるんだら、今度は封印していたトラウマを思い出したこと
- トラウマが産んだ自分の闇に直面して、ショック死しそうになりました。
*自分のエゴに絶望w - 深い悲しみの奥には「ただ、愛し愛されたかった」という気持ちがあることに気がつき認めました。
- しかし、「誰にも愛されなかったし、愛されていない」という絶望がありました。
- さらには、自分のことも愛せず、ずっと自分で自分を傷つけていたと気づきました。
- 胸を棍棒でどつかれて穴が開いたような痛みで、感情だけで本当に死んでしまうかと思うほど悶え苦しみました。
- そしてついに、苦しすぎて体外離脱してしまい、上から自分を見ていました。
* * *
- ただの見ている純粋意識 Pure Awarenessには、感情も痛みもありませんでした。
- 「無」、「空」になったら、問題が問題でなくなりました。
- 闇をLook through見切った先には、さらに奥には『愛』だけがありました。
- みんなただ「愛されたい」「愛し方がわからない」だけなんだと分かりました。
- 自分が求めていた無条件の愛では愛されなかっただけで、彼らなりの愛だったと分かり
- 闇やトラウマが深い人は、きっと闇を直視できない、耐えられないだろうということも理解できました。
- なぜなら、自分も闇を見てショック死しそうになる(しかも体外離脱までするほど自分と一緒にいれない)体験をしたから分かるのです。
- そこではじめて、両親への同情と、赦しと、愛が沸いてたのです。「赦そう」と思い込もうとするのではなく、心からの慈悲でした。
* * *
ピマチュードゥンの言うように、
『Compassion慈悲・慈愛』とは
自分の闇を認めた上で乗り越え、
それでも愛でいることを選ぶから
他の人へも与えられるのだろうなと思います。
* * *
波乱万丈(?)なLittle Meの人生ストーリーに興味があれば、Aboutページからどうぞ。
では、いつ見るのか?
➡︎なんかもやもやしてスッキリしないと感じているときに自分の内側を探ってみる
➡︎他人の嫌な点が気になる・許せない時は、自分にも同じものがないか探ってみる
➡︎理不尽なこと、大変な出来事が起きた時、その『今』を受け入れてみる
- エゴくんも、自我ちゃんの闇も、決してジャッジせずにで見てあげて下さい
- そのエゴは「ほんとうのわたし」ではありませんから
- そのエゴを見ている・気づいている意識がほんとうのわたし。
真我「空」「Being」です。 - I am 愛&眼(eye)
- それが、『今』を『あるがまま』に見ることです
- 怒りの奥には悲しみが、そしてさらに奥深くには『愛』があります
- 分離の状態では、ほんとうの意味で愛されることはないことを認め、絶望することから始まる(禅の立花大敬先生)
- その苦しみが、真実への探求の恩寵となります
- すべてが『ひとつながりのいのち』を実感すると自然と愛が湧いてくるようになります
* * *
ただし、無理に闇を見ようとしないでください。
エゴでエゴを見ると、それはジャッジ・非難・否定になるので苦しくなります。
『空の愛』というBeing/真我から、見守るのです。
そう在ると、自動的に癒しが起こります。
- 向き合う勇気、覚悟がないなら、今はタイミングではない
- 今特に、生きづらさも、違和感も感じていないのなら、それもタイミングではない
『今』に必要なことが起きていますから、安心してここに在ってください。
- 『今』という場が、わたしたちの目覚めに必要な出来事を起こしてくれています
- わたしたちにできることは、その『今』から逃げずに、ただ見ている・気づいている意識で在ることです
- Aware of Awareness 気づきに気づく
- Conscious of Consciousness 意識に意識的でいる
*自分の闇・エゴもしっかり見つめて受け止め
(Aknowlegement)
*自我を明け渡す
(Surrender)ゆだねる
*そこには、そんなエゴもただただ見守っている
愛の眼差しがある
(I am 愛&EYE♡)
(私は愛であり眼です)
(あい・あい・あい)
*自分の闇を直視したから沸いてきた愛
*相手の闇と共にいてあげることができるのです
(Presentプレゼントでいてあげる・今ここの存在でいてあげる)
エックハルト・トールは以前動画の中で
殺人などの犯罪者についてどう思うかをインタビューで答えてこのように言っていました。
「もし、自分が同じような環境で育ち、同じような境遇に置かれたら、同じことをするかもしれない。」
「エゴをよく知っている」
これが『Compassion慈愛』ですね。
Eckhart Tolle’s interview:
About murderers
“if I were in the same situation, I would do the same”
【自分の闇・エゴを直視することが、目覚め&無条件の愛へとつながります】
【無条件の愛・慈愛・Compassionとは】
自分の不完全さ、エゴ、不甲斐なさ、人間だもの。。。
を赦し、愛せるからこそ、他人の全ても赦し、愛せる
だって、「わたしはあなた、あなたはわたし」だから。
それが、以前ご紹介した動画の【無条件の愛の名言】につながります:
私が学んだ悟りの教え・自然の摂理・宇宙の法則では、すべては『ひとついのちOneness』です。大和魂とも言いますし、真我・空・在るとも言われます。
根本では全てとつながっている「いちなるいのち」の安心感を感じられれば、「分離の恐れ」から自分を守ろうとして行動することがなくなります。愛によるつながりに安心し、宇宙全体の流れに身をまかせて、「今」湧き上がったやりたいことをやることができます。それは宇宙の意思をこの身体で現すこと、愛の表現です。
エゴはいつも小さい自分(自我ちゃん・Little Me)を守ろうと必死ですが、「ほんとうのわたし」・全体のわたし・真我・大我は、防衛する必要がない、ただただ存在する喜びに溢れています。わたくしLittle Meりとる・みーが、長年求めていたのは、この『無条件の愛』でした。「愛し愛される」という「与え受け取る」関係をも超越した『わたしが愛そのもの』という気づき・Self-realisationです。
私は、その愛に気づいてから、自分のエゴ・自我の「不完全さ・不甲斐なさ・ネガティブっぷり・うるさい頭のおしゃべり・ジャッジしたがりマインドなどなど」を、「そうだよねー、わかるよ〜。人間だもの」と笑って見守ることができるようになりました。そうしたら、自分も他人も赦せるようになったのです。世界が愛にかわったのです。そして「わたしはあなた」ということが腑に落ちました。
ネガティブなエゴちゃんはいますが、いつでも『空』『今』『愛』に戻れるようになったのです。ワンネスの安心感で何が起きても『大丈夫』な感覚が長く続くようになりました。そのことを、ご縁のできた方にもシェアしたいと思っています。
わたしたちの本質は、その「愛の眼差し」です。
I am 愛/Eye
わたしたち(あい)は、愛(あい)であり、目(Eyeあい)です。
最終的には、その見ている者(目・Eye)と「いのち」も全てがひとつの存在Being/Presenceであることを悟ることです。いのちの存在(空)が自身を知るために、様々な表現(色・形)になり、「今という場(空間)」に現れては消え、それを観賞して「自身を知る遊び」をしています。
こんなに闇深いわたしにも愛の種があった。
愛が沸いてきた。愛そのものだと感じられた。
自分が愛そのものだと分かったから、いま闇の中にいる人の中にも愛という光が灯っていることを見てあげる(認識)してあげることができる。
「あなたも愛だよ」という本心からのエネルギーを与えることができます。
他人のエゴに注目して、エゴをジャッジして、「変わりなさい」と強要したりコントロールしようとすることと反対のアプローチです。いくら正論を言っても、「否定されている」というエネルギーが相手に伝わるので、相手は変わろうとしないのですね。
* * *
「北風と太陽」のお話のように、闇を指摘するのではなく、闇をも照らす太陽のような光になれたらいいですね。
* * *
もう少し詳しいLittle Meのストーリーに興味があれば、Aboutページからどうぞ。
【テキストで読む悟りの言葉】動画の解説はここまでです
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